麻雀
麻雀はできるが、やらない。
周囲にはできない、知らない、ということにしている。
ガキの頃、麻雀のルールを親父に教わった。
親父が若い頃、営業の仕事をしていた時に、散々麻雀をやったという。
相手に応じて勝つことも負けることも自由自在だと言っていた。ホントかな。
その親父が俺に麻雀を教えながら、何度も言った。
麻雀はやるもんじゃない。
麻雀をやることによって、若い頃の貴重な時間がどんどんなくなっていく。
お前が大人になったら、麻雀の誘いは全て断れ。断れないなら、麻雀を知らないってことにしておけ。
自分の失敗を息子が繰り返さないようにと、何度も丁寧に繰り返し語りかけてくれた。
その言葉をずっと覚えていて、学生の頃も、社会人になってからも、麻雀を知らない人で通してきた。
麻雀をやっていればそれなりに楽しい時間を過ごせたのかもしれないが、やらなくても別にどうということはなかった。
そして現在に至る。
職場には麻雀好きな人が何人かいるが、俺が麻雀できるとは一言も教えていないので、お誘いが来ない。
俺自身も特に興味はない。
でもそれで別に困らない。
別の世界線があって、麻雀に振り回されて困ってる自分がいるのかな、とふと思うことはある。
そういえば昔、東風荘というゲームを暇つぶしに遊んでいたな。それすらも他人には教えていないけど。懐かしい。
そんなに勝てなかった気がする。
ランドセル
次女の入学に備えてランドセルを買った。
最近のランドセルはすごい。まず軽い。中身が空だと指一本で持ち運びできるくらい。
そして色のバリエーションが豊富。俺がガキの頃は赤と黒しかなかったのが、例えばイオンが出してるのは24色。昔ソフトバンクにそんなガラケーあったな。表面とパーツのツートンカラーでパターンを増やしてるところもあった。選ぶだけでも楽しいだろう。
A4サイズにも対応したらしい。昔のランドセルより少し大きめになっているとのこと。
そして、地味だがすごいと思ったのは、携帯電話を収納できるポケットがあること。
子ども向け見守り携帯などのガラケータイプならそのまま収納可能。見事に時勢を反映している。
よくよく考えると、あれだけ軽くて丈夫で持ち運びやすくて、乱暴に扱われても6年以上も耐えられて、それであの値段だからな。
ランドセルは意外とコスパが良いと思う。
愚痴
愚痴は嫌い。なぜなら、建設的ではないから。
愚痴を言うことで積年の課題が解消するとか、作業が効率化されるとか、人間関係が強固になるとか、そんな効果があるなら喜んでする。でも絶対にそんなことにはならない。
人間関係はむしろ悪化するだろうし、愚痴を聞かされたことがきっかけで新たな愚痴が発生し、連鎖する場合もあるだろう。
最近読んだ本には「サビは鉄から出て鉄を腐らし、愚痴は人から出て人を腐らす」と書いてあった。
一方で、愚痴を言ってスッキリするケースも少なからずあることは一定理解できる。
なので、伝える際の配慮や工夫が必要だ。
個人的には以下のようにすればよいと思う。
- 愚痴を言うことを予告する
愚痴を言う時には、必ず相手が存在する。その相手の時間の何割かを、これから自分のために割いてもらわなければならない。
まず、そのことを相手に予告し、了解を得る必要があるだろう。
また、内容によっては相手を不愉快にさせるかもしれない。この可能性についても言及し、しぶしぶでもいいので納得してもらう必要もあるだろう。
- 愚痴の最中に反論しない
愚痴にはついつい反論したくなるが、それをしてしまうとヒートアップしたり、それ自体が新たな愚痴の火種にもなりかねない。
よって、愚痴の最中は適当にうなづいてやり過ごした方が良いだろう。
自分が愚痴を言う場合は、相手に黙って聞いてほしいことを要求し、自分が聞く場合は黙って聞く。
- お礼を言う
わざわざ時間を割いて愚痴を聞いてくれたことに感謝し、相手にその旨を伝える。
スッキリした、前向きな気持ちになった、やる気が出たなど、具体的な感想を添えるとなお良いだろう。
愚痴もコミュニケーションの一つと考えると良いのではないだろうか。
影響
誰かに影響を受けるというケースが個人的には少ないと思いながら過ごしてきた。
昔から熱しやすく冷めやすい性格だった。
興味のあるものにはとことん時間を費やし、興味のないものには見向きもしなかった。
それ人生のxx%損してるよ、と言われても、うるせーよクソが程度にしか思わないことがほとんどだった。
子育てするようになってから、それが少し変わった。
例えば長男は電車が好きで、俺はそれまで電車への興味は微塵もなかったが、一緒に行動しているうちに、彼が面白いと思うポイントが自分にとっても面白いと感じるケースが徐々に増えていった。
東横線の廃線跡を歩いたこともあった。栄枯盛衰を感じて実に面白い。
電車でGOがSwitchに出ると聞いて待ち遠しい。
独身の頃には考えられないくらい変わった。
でも変わることは意外と楽しい。
影響を受けている自分を客観的に見られるようになったせいだろうか。
学生の頃より今の方が楽しいかもしれない。