手段の目的化
最初聞いた時は耳を疑った。
手段を目的化するだと?
どういうことだ?
一般的には、手段と目的を分けて考えるべきだと思っている。
職場の若手にもそう教えてきた。
例えば会議が最たる例だ。
認識を合わせたい、状況を報告したい、課題提起したい、解決案を提示したい。
そのための手段として、じゃあメールでいいよ、一度会って話をしよう、これは会議の場で議論しよう、など、様々な手段が用いられる。
会議はその中の1つの選択肢に過ぎない。
もし会議を開くことを目的化してしまうとどうなるか?
会議の開催案内のあとで慌てて議題を探したり、突然の中止や変更であたふたしたりするだろう。
この手段の目的化をよくよく探っていくと、
習慣付けをしたい時
には効果的らしい。
例えば運動不足解消のためにジョギングを続けるとする。
ジョギングの目的は運動不足解消なんだけど、続けてると、運動不足解消のためなら何もジョギングでなくてもいいじゃないかと、別の手段を考え出す。
でもジョギングそのものを習慣付けたいのなら、思考を停止させ、ジョギングじゃないと目的を達成できないと自らに思い込ませる。
こうしてジョギング=運動不足解消という式ができる。
この式を疑ってはならない。
疑うと別の式を考えたくなってしまうから。
この年になっても目から鱗の知見が得られるとは思わなんだ。